オープニング
手代木 功
塩野義製薬 代表取締役会長兼社長CEO
「Asia ID Symposium 2024」には、3つの目的があります。
まず1つ目は、COVID-19のパンデミックでアジア地域の医療専門家が得た様々な気付きや発見、経験の共有、2つ目は、対話や協調のためのコミュニケーション基盤の確立、そして3つ目は、将来のパンデミックに対する備えです。通常の生活へと戻るなか、人々のCOVID-19に対する関心が薄れてきています。しかし、未だ解決出来ていない社会または医療上の課題はたくさんあります。
そこで、未来志向の見地から、将来のパンデミックへの備えとして、より盤石な医療システムを構築していく上で、本シンポジウムが役立てば幸いです。
基調講演
強い体制構築し新行動計画推進へ
鷲見 学氏
厚生労働省感染症対策部長

鷲見 学氏
日本はCOVID-19のパンデミック対応で、累積死亡率が英国や米国と比較して5分の1以下であるなど、一定程度成功しました。ワクチン接種率の高さがその理由の一つです。一方で、課題もあります。
そこで、次なるパンデミックへ備えるため、政府は、2013年に策定した「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」を24年7月2日に改定しました。従来の計画は新型インフルエンザを想定したものでありましたが、COVID-19の経験に基づいた知見を新たに盛り込みました。ポイントは「平時における備え」「対策項目の拡充」「横断的取り組み視点の設定」「幅広い感染症への対応」「実効性の確保」の5つです。
新しい行動計画に基づいて、様々な対応を進めています。感染症危機管理の司令塔として23年に内閣感染症危機管理統括庁(CAICM)を設置しました。25年には国立感染症研究所と国立国際医療研究センターを統合して国立健康危機管理研究機構(JIHS)を設立します。JIHSをハブに様々な情報を集約し、CAICMが厚生労働省などとともに感染症危機管理を実行します。
またMCM(感染症危機対応医薬品等)である、ワクチンや治療薬、検査薬の研究・開発なども図っていきます。これには民間企業との協働が不可欠だと考えています。
例えば、ワクチン開発では、パンデミックに備え、明確な目標を定め、世界トップレベルの研究開発拠点「先進的研究開発戦略センター(SCARDA)」を日本医療研究開発機構の下に整備し、平時から研究開発を推し進めていきます。
講演 1
基本に立ち戻るパンデミック対策
Hoe Nam LEONG氏
シンガポール・マウントエリザベスノベナ病院 感染症医・シニアコンサルタント

Hoe Nam LEONG氏
パンデミックは必ずまた来ますし、その対策へ世界中が一致団結して取り組み、切り抜けることが重要です。
シンガポールではCOVID-19への対応として、2003年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)の経験が生きました。SARS後に様々な緊急事態への対応システムを整備し、それを活用した対策を実行しました。
しかしSARSとCOVID-19ではいくつもの違いがありました。例えば、入出国管理においてSARSと同様に体温チェックを行いましたが効果が上がりませんでした。理由は感染速度の違いです。SARSは発症7日目以降の感染力が強かったのですが、COVID-19は発症前から感染力があり、感染速度が速かったのです。
そこでBluetooth(近距離無線通信)を活用した携帯電話用アプリを開発し、感染者のトラッキング(追跡・分析)を行いました。ただ、どのくらいの接触(時間や距離)が感染につながるか、判断することは難しかったです。マスク不足も招きました。COVID-19対策でマスク着用が効果のあることが分かり、医療関係者だけでなく、一般の人々も求めたからです。
危機管理における広報は非常に重要です。フェイクニュースなどに惑わされないように、専用の広報チャンネルを設け、定期的に記者会見を行い、適切な情報提供に努めました。また病院での感染対応の訓練も欠かせません。SARS後、毎年シンガポールではすべての病院が訓練を実施し、それが大変役に立ちました。
講演 2
中国での抗ウイルス剤開発
Ye Ming WANG氏
中国・日中友好病院 呼吸器科 チーフレジデント

Ye Ming WANG氏
中国の製薬会社では、インフルエンザの増殖を抑える抗ウイルス剤の開発を行っています。新しい治療薬は、中国・国家食品薬品監督管理総局で審査されます。症状がどれだけ早く改善するかが、重要な評価項目となります。例えば、インフルエンザの抗ウイルス剤である「GP681PA」の臨床試験では、ウイルスの増殖を抑える有効性が見られたことに加え、治療期間におけるウイルスの変異が低かったことが確認されました。
一方、COVID-19の治療では、抗ウイルス剤と宿主を標的とする薬を組み合わせることの有効性が明らかになっています。COVID-19そのものが、オミクロン株などの変異種が登場し、ワクチン接種率も上がって、死亡率が下がる状況にあり、臨床試験の主要評価項目の内容も変わりつつあります。
我々も2000例以上の外来患者を対象にCOVID-19の症状を調査したところ、呼吸や呼吸器の症状がかなり長期に持続することが分かりました。疲労あるいは倦怠(けんたい)感を訴える患者も非常に多いです。こうした症状に加えて、味覚や嗅覚の喪失といったCOVID-19中核症状以外の症状も、現在臨床試験の設計においては考慮する必要があります。
また呼吸器合胞体ウイルス(RSV)は、患者の負担が大きい呼吸器系の感染症です。特に乳幼児期に重症化しやすいのが特徴です。RSV向けに開発された「AK0529」という抗ウイルス剤は、小児において有効性が見られ、成人に対する第Ⅲ相の臨床試験を現在行っているところです。
講演 3
デジタル技術活用し施策推進
Chin-Hui YANG氏
台湾衛生福利部疾病管理センター 急性感染症部門長

Chin-Hui YANG氏
COVID-19が世界で猛威を振るう中、台湾ではCOVID-19を効果的に制御しました。感染者や死亡者を抑え、経済成長への影響も最小限に留めました。
こうした成功の背景にあるのが、2003年のSARS流行での経験・知見です。この経験・知見から台湾当局は防疫意識を高め、感染症予防法を改正。公衆衛生の緊急時、防疫政策の司令塔となる中央感染症指揮センター(CECC)を作動させる仕組みを作りました。また、マスクや抗ウイルス剤などの備蓄もスタートしました。
実際、台湾当局は中国武漢でのCOVID-19によるロックダウン(都市封鎖)の一報を受け、即座にCECCを設置。CECCは入境制限や陽性者の感染経路特定などを行い、備蓄物資を放出しました。
感染拡大防止に大きく貢献したのが、デジタル技術です。台湾には「全民健康保険(NHI)」をベースにした医療プラットフォームがあります。これに携帯電話の位置情報などを組み合わせ、市民の移動を把握。さらに市民が健康状態を報告する仕組みや、マスクの公平な配布システムを作りました。
ワクチン登場後は、その接種を推進しました。一部にワクチンを忌避する人もいましたが、ワクチンについて適切な説明を行い、対話を重ねることで接種率を高めました。
SARSで得た経験が今回役に立ったように、今回の経験は次の新興感染症への対応に役立つでしょう。感染症への備えは負担ではなく投資です。“備えのある対応”は“備えのない対応”より、確実に低コストです。
講演 4
感染力・伝播力の高さ
押谷 仁氏
東北大学大学院医学系研究科 微生物学分野 教授

押谷 仁氏
COVID-19には、過去の多くの感染症とは異なる疫学的な特徴があります。
第1の特徴は高い伝播(でんぱ)力です。患者1人が平均何人に感染を広げるかを示す基本再生産数を見ると、スペインインフルエンザ(スペイン風邪)が1.8〜2なのに対し、COVID-19は武漢株でも2.5~3.5、オミクロン株では8~12と推計されています。
第2の特徴は症状の軽い患者が多いことです。SARSのように多くが重症化するなら、患者の検知は容易ですが、COVID-19ではこれが難しいのです。
第3の特徴は感染性を持つタイミングです。SARSは発症して重症化してから感染性のピークを迎えますが、COVID-19は発症前から高い感染性を持ちます。つまり発症した患者を全員隔離しても、伝播は防げません。
こうした特徴から、COVID-19は従来の方法による「封じ込め」は非常に困難な感染症でした。そんな中、日本は比較的死亡者数が少なく、欧米から「ミステリアスな成功」と評されました。これは多様な介入が複合的に作用した結果でしょう。ワクチンは有効ですが、完璧ではありません。抗ウイルス剤やマスクの着用、3密(密閉空間、密集場所、密接場面)を避ける行動なども同様です。日本はこれらの介入を同時に行ったことが、奏功したのだと思います。
感染症の歴史を見ると、ウイルスはそれぞれに疫学的特徴は違い、有効な対策もそれぞれ異なることが分かります。次の新興感染症がどういう特徴を持つかは分かりません。だからこそ多様な手法を組み合わせた備えが大切なのです。
講演 5
研究・開発の仕組み構築
大曲 貴夫氏
国立国際医療研究センター病院 国際感染症センター長

大曲 貴夫氏
感染症に対するワクチンや治療薬の開発が世界で活発化しています。日本でも多くの取り組みが行われていますが、そこには課題も多い。
第1はアカデミアによる基礎研究の成果を、応用研究や実用化へと橋渡しする体制が脆弱なこと。第2はデータの利活用を実現するインフラの不足。第3は研究開発に当たる人材の不足。第4は創薬ベンチャーに対する支援が少ないこと。第5は国際的な共同治験への参加が少ないこと。第6は感染症研究に関するネットワークが未形成なことでしょう。
こうした状況を改善するため、現在いくつかの新たな仕組みの構築を急いでいます。その一つがJIHSです。感染症臨床研究ネットワークの構築も急いでいます。同ネットワークは、平時には感染症の科学的知見創出や治療薬開発に向けた共同研究を実施し、有事には臨床研究を即時に開始できる体制を確保するものです。
また研究・開発を持続的に行うには財源の確保が欠かせません。そこで薬剤耐性(AMR)に対する抗菌薬開発を促す市場インセンティブの仕組みを、今後、新興感染症を含めた感染症一般でも適用することが必要になってくるでしょう。


演者スライドを基に翻訳
出典:「第82回厚生科学審議会感染症部会 資料」(厚生労働省)(https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/001212997.pdf)を加工して作成
規制の整備も大切です。例えば、感染症危機対応医薬品に対する臨床試験が人で実施できない場合、動物試験の結果によって使用許可を出す。そうした見直しも必要でしょう。
パネルセッション
COVID-19パンデミックから学ぶこと
– 危機管理の観点から未来を見据えた感染症対策
アジア地域としての連携を
Sin Yew WONG氏
グレンイーグルズ病院 感染症・スペシャリスト
Feng-Yee CHANG氏
国防医学院医学学科 教授
大曲 貴夫氏
国立国際医療研究センター病院 国際感染症センター長
押谷 仁氏
東北大学大学院医学系研究科 微生物学分野 教授
鷲見 学氏
厚生労働省感染症対策部長
講演した鷲見氏、押谷氏、大曲氏に加え、シンガポールのグレンイーグルズ病院感染症・スペシャリストのSin Yew WONG氏と、国防医学院医学学科教授のFeng-Yee CHANG氏を迎えたパネルセッションでは、「R&D(研究・開発)戦略」「感染症の疫学」「感染症の危機管理」の3テーマで議論が行われました。
「R&D戦略では将来のパンデミックに向けどのような準備が必要か」との長谷川座長の問いに対し、大曲氏は「多様な薬事における協調が進んでおり、承認プロセスでも多くの国の意見を取り入れる土壌が出来てきています。ただ、緊急時の治験では、承認プロセスの迅速化に向けた治験デザインの簡素化が必要です。申請プロセスを小さなデータパッケージにすることにより、当局が短期間で審査・承認可能になれば、医薬品の迅速・安定供給実現につながります」と指摘しました。

Sin Yew WONG氏
WONG氏は、シンガポールの感染症対策研究プログラム「PREPARE」を紹介し、「ビッグデータの社会行動解析に基づくメッセージングの主導」「人獣感染のワンヘルス化を考慮した緩和策」「診断、ワクチン、治療薬」「プラットフォームを活用したコラボレーション」「リージョナルネットワーク」の5項目が柱だと説明。「R&Dは感染症対策戦略の基盤であり、我々は現在データベースや臨床サンプルの保管庫を含む研究能力の構築に注力しています」と述べました。
CHANG氏は、「台湾ではワクチンや抗ウイルス剤のR&Dのほとんどはプレクリニカル(予防)が中心です。新興感染症のリサーチでは、病原体についての基礎研究を行い、プラットフォームを形成します。しかし、情報技術やサーベイランス(感染状況の把握)、研究などを総合的に考えると、まだたくさんのギャップが存在します。多様なデータを活用し、製薬と非製薬の壁を越えた情報共有を進め積極的な備えにつなげていく必要があります」と話しました。
次に松本座長が、「様々なパンデミックのシナリオをどう考えるべきか」と質問しました。
押谷氏は、「備えていないことに対してどう備えるかが問題」と応じ、「すべてのシナリオを描くことはほぼ不可能で、現在ある抗ウイルス剤が次のものに効果があるかどうかも分かりません」。さらに「中・低所得国のほとんどに抗ウイルス剤の備蓄がないことも考える必要があります」と付け加えました。
WONG氏は、「疫学的には、動物の健康と食品の安全性の監視は、人間の感染症の監視と同じくらい重要。シンガポールでは、下水の監視がますます重要になってきており、呼吸器、腸管、中枢神経系、出血熱、若者の突然死など、5~6つの臨床シナリオを通じて新たな感染症の流行が監視されています」と語りました。

Feng-Yee CHANG氏
また、CHANG氏は「台湾では以前、上部気道の感染症について、衛生福利部疾病管制署(台湾CDC)の医療保険制度を使って1週間以内に情報入手したことがありましたが、今後は自発的な報告システムをベースにした情報収集や、地理情報システムを使ったホットゾーンの特定も可能になると思います。多様な機関の情報を台湾CDCで集約し、国際的な情報共有につなげていきたい」と話しました。
3つ目のテーマである危機管理では、長谷川座長が「平時と有事のコミュニケーション」について聞きました。
鷲見氏は「政府は信頼ができる科学的な情報を、分かりやすく一般の人々に伝えることにより、間違った情報やフェイクニュース、インフォデミック(デマなどを含む情報の氾濫)へ対応することが重要」と応えました。WONG氏もこれに同意した上で、「有事にはライフスタイルの変更も含まれるかもしれません。リスクに対してどのような行動変容が必要なのかを平時から伝えておくことが重要です」と訴えました。
CHANG氏は「COVID-19に限らず、感染症対策では透明性を持った対応が重要です。国民には真実を伝えるべきです。また、中央政府の戦略や方針が地方自治体によってきちんと理解されることも重要です」と述べました。
最後に長谷川座長が「国や地域の協力体制はどうあるべきか」を聞きました。
鷲見氏は「私たちは互いに幅広い分野での協力が可能です。人材育成、研究開発、規制面、ラボの研究などで良好なネットワークを平時から保っておくことで、より効果的なアクションが有事に取れると思います」と話しました。
WONG氏は「政府間だけではなく、人と人との関係があれば情報が伝わるのも早い。検体やシーケンシング(遺伝子情報読み取り)情報も含めて情報交換や人的交流が重要」と力説しました。
CHANG氏は、「国境を越え、お互いがプラットフォームやネットワークを通じて国際的な臨床試験に参加し、交流しておくことも重要です。より密な交流が、新興感染症対応へのより良いヒントをもたらします」と締めくくりました。

クロージング
<座長>
松本 哲哉氏
国際医療福祉大学医学部感染症学講座 主任教授

松本 哲哉氏
より良い協力体制を産官学また製薬企業間で国際的に持つことが次なるパンデミックの備えとして、重要です。塩野義製薬はCOVID-19のワクチンと抗ウイルス剤の両方を開発した唯一の日本企業。今後のさらなる活躍を期待しています。本シンポジウムはアジア地域の皆さんとともに備えについて考える、とてもよい機会になりました。
<座長>
長谷川 直樹氏
慶應義塾大学医学部感染症学教室 教授

長谷川 直樹氏
パンデミックが起きなければ一番よいのですが、備えは欠かせません。COVID-19の11波ともいえる状況と重なった本シンポジウムの開催はとてもタイムリーでした。感染症対策においては、専門家による国境を越えたコラボレーションと同時に、一般の方々ともつながりを持つことが大切です。専門家から一般の方々まで、私たちがまとまることにより、将来の状況は必ずよくなると信じています。