敗戦に依り国土の多くを喪失し、過剰の人口を擁する我国は経済的に疲弊しその復興は実質的に薬学方面に於てもアメリカ合衆国等先進諸国に於ては年々驚くべき速度にて発達しつつあるとき、独り我国のみが取り残されている現状であります。この原因は敢て我国民、特に薬学者の能力の低さ為ではなく、主として研究者の財政が不十分である為であると考えられます。

数多の優秀なる資質を有する者にてもその家庭の経済的事情に依り又法人に於ても同様その資力の不足故に当然必要である研究さえも出来ず、はたまた研究途上に於てその資力不足のため中止せざるを得ぬ人が幾多あることは想像に難くない所であります。この点に鑑み故塩野義三郎は生前中より絶えず右事情並に財政確立の必要性を痛感し生前に於てなし得ざりし点を遺言によってかかる資力不足の研究者に経済的援助を為し、以て社会薬学発達に貢献すべく之を実現せんと企図せられたものと存じられます。
我が篷庵社は右遺言者の崇高なる社会奉仕の精神に従い薬学を研究する個人並びに法人に対し経済的援助をなし以て薬学界、医学界、延いては国民一般の福利増進に奉仕いたし度く、ここに財団法人篷庵社を設立せんとする次第であります。

昭和二十八年十二月二十六日
公益財団法人 篷 庵 社
発起人  近藤 平三郎