
世界で活躍した「二刀流」が、伝統に新しい風を吹き込む
私の担当は、台湾塩野義製薬股份有限公司(以下、台湾塩野義)と塩野義製薬本社をつなぐリエゾン業務です。台湾側が進めたいことと本社の意思決定をつなぎ、プロジェクトがスムーズに進むようサポートする仕事です。今回は、台湾における抗インフルエンザ治療薬の小児適応拡大と、その先にある政府備蓄までを担当しました。
―そもそも、なぜ「小児」だったのでしょうか。
台湾のインフルエンザ治療は、日本とは少し事情が違うんです。日本ではインフルエンザと診断されたらすぐに抗ウイルス薬を処方するのが一般的ですが、台湾では「風邪の一種」という捉え方で、安静にして解熱剤などで対処するケースが多い。そして薬が使われる場合、その約8割は子どもの患者さんです。
もうひとつ、台湾では流行期に入ると、政府が備蓄した抗ウイルス薬が公費で患者さんに提供されます。つまり、備蓄薬に採用されて初めて、薬が広く患者さんの手に届く仕組みなんです。
ですからCDCからは、「最も薬を必要とする子どもに使える薬を備蓄したい」という要望がありました。台湾の子どもたちに薬を届けるには、小児適応の取得と備蓄の実現、その両方が欠かせなかったのです。
時間です。小児適応の承認取得には、通常2年近くかかります。それをCDCが必要とする時期に間に合わせるには、1年以内に進めなければなりませんでした。正直、「絶対に無理だ」と思いました。
しかも途中で、大きな方向転換がありました。台湾では承認申請の際、他国、特にアメリカでの承認状況を重視します。ところが抗インフルエンザ薬は、日本と世界とで小児の用量設定が異なっていた。当初は日本の用量で進める予定でしたが、議論の末、アメリカの用量設定を採用することになったんです。必要な資料も申請内容も途中で変わり、毎日のように「これでいいのか」「あの資料は揃ったか」と確認し合いながら、ひたすら走り続けました。
最初は「各部署が直接やり取りした方がスピード感があるのでは」と思うこともありました。でも実際には、私たちが間に入って情報を集約し、調整することで、はるかに効率よく進められたんです。
特に大事にしたのは、CDCからの質問に答えるスピードでした。台湾のチームがCDCを訪問して質問を受けると、その日のうちに「今日こういう質問を受けたので、いつまでに回答したい」と連絡をくれます。私たちは関連部署に声をかけて、メールを往復させるのではなく、皆で集まってその場で方針を決める。とにかく早く返すことを、全員の目標にしました。
CDCの質問に答えることは、そのまま台湾の子どもたちに薬が届く日を近づけることでもあった。清水さんたちの「速さ」は、そのためのものだ。
台湾塩野義は1963年の設立から、60年以上にわたって台湾で医薬品を届けてきた会社だ。抗インフルエンザ薬の公費備蓄は、台湾塩野義が2017年から目指し続けてきた目標でもあった。
―台湾塩野義のチームは、どんな人たちでしたか。
皆さん仲が良くて、仕事が速い。そして「インフルエンザで亡くなる患者さんをゼロにしたい」という高い目標を掲げて取り組んでいる。その姿勢には本当に感銘を受けました。
政府との交渉でも、長く台湾で薬を届けてきた企業としてのこれまで積み重ねてきた信頼が、大きな支えになりました。
―このプロジェクトで学んだことを教えてください。
協力し合うことで発揮される力の大きさです。「一人では絶対に成し遂げられないことでも、多くの人が同じ目標に向かって協力すれば実現できる」ということを、身をもって経験しました。「絶対に無理だ」と思った計画が、台湾と日本の多くの部署の専門家が集まり、知恵を出し合うことで、想像以上のスピードと質で進んでいった。一人で考えていたら思いつかなかったアイディアや解決策が、チームで話し合うことで次々と生まれたんです。この進め方は、台湾に限らず他の国でも応用できるモデルケースになると確信しています。
2023年10月、CDCとの間で備蓄の合意に至った。台湾の子どもたちに、新しい治療の選択肢が届くことになった。
―振り返って、いま思うことは何かありますか。
海外事業部に異動した当初は想像もしていなかった大きな挑戦でしたが、多くの方々に支えられて乗り越えることができました。台湾塩野義の担当者が口にした「人類とウイルスの終わりなき戦い」という言葉が、今も心に残っています。私もその一員として、これからもグローバルな視点で、世界の患者さんのために貢献していきたいと思います。